温暖化時計

2009年08月12日

彼は、目礼を交わして、黙って記帳をした。
寺院の外は秋雨が繍条と降り続いている。

時代の時計台から、追放を知らせる時報が聞こえて来たのは、大学の5月革命の敗北からだった。
先を争う者がいる。
流れ込もうとする者を、押し戻そうとする者がいる。
こなごなになった希望を拾い集める者がいる。
ストライキ、デモ、武装蜂起、五月革命、抗うことの出来ない掟めと、44口径の連続射殺犯。

祈るような歌声が、平和な光景など微塵もない世界に流れている。

なだれ込んで来た制服の男たちは、星を見る女の前で、立ち止まった。
振りかざした威嚇の拳は、宙に浮かんでいる。
女は、宙の声を聞くことができた。

『花に水をやりながら、あなたの手紙を読んでいます。
あなたの本は、図書館と一緒に燃やされました。
あなたの論文は、過去のものとなりました。
記憶しているのは、私だけです。』

彼女は、バリケードで封鎖される以前に大学から逃げ、投資運用会社を経て、政府の金融審議会委員となっていた。

政府の温室効果ガス削減の中期目標は、『2020年までに、温室効果ガス排出を2005年比で、15%削減(1990年比では8%の削減)する。』だ。
『これを実施するために、新車販売の5割以上を電気自動車やハイブリット車にし、新築住宅の7割以上に太陽光発電をつける。』必要があると、彼女は内閣府の研究委員として提言していた。
これ以上の削減には、中古車の発売停止など措置が必要となる。

なぜなら、日本の温室効果ガスの過半数を出し続けている、つまり、エネルギーを大量消費し続けている上位200事業所は、自主規制のままだからだ。

彼女は、2009年5月21日に、経団連などが連名で全国紙に出した意見広告にもブレーンとして参画していた。

その年の12月のCOP15(国連気候変動枠組み条約締結国会議)で、『1990年比で30%削減』を、日本が要求されれば、産業温存のままでは、国民は負担について行けなくなる。

その年、総選挙が新たな時報を鳴らそうとしていたが、国民の多くは情報が制限され、誘導されていた。

新しい削減枠のポスト京都議定書が発動するのは、2013年からだ。
国民が絶滅の淵に立たされていることに気付くのは、その前年、IMFが日本に、日本再建プログラム『ネバダレポート』をついに勧告してからだった。
2012年に、日本は財政破綻に陥っていた。
COP15の要求は、EUと同じ『1990年比で20%削減』だった。
そのため、『競争力を理由』に、上位200事業所の多くは、削減の枠組みが低い海外へ移転したからだ。

そして、多くの工場が閉鎖され、デモは暴動へと発展し、5月革命後、彼女の立場は急変した。
しかし、彼女は、結局、ノアの箱舟には乗らなかった。

この長い物語の始まりを告げた(大学を去る)彼女からの手紙を、教授は水をやっている花と一緒に棺に返した。

その時、制服の男が一人、おめこみたいに目を細めながら、彼の存在を見逃してはいなかった。



Posted by グリーンワーク at 19:52│Comments(0)
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