国策の行方 上関原発計画の20年
2010年10月31日
一連の取材をとおして、思い知らされたのは、原発立地手続きの『責任所在のあいまいさ』だ。
電源開発分科会への計画上程の根拠について、国は『地元意見を代表する知事から同意をもらった。』と言い、同意した知事は『国策だから協力する。責任は国にある。』という。
電力会社は、『国の方針』を言いたがる。
数百億の公金を投入され、住民の賛否が割れている立地手続きが、責任のたらい回しのような形で進んでいいのだろうか?
瀬戸内に面する漁業の町、山口県上関町が原発予定地に名前が挙がったのは1981年9月だった。
今に続く原発推進の「国策」が全面化した時期だった。
1979年のスリーマイル事故は、経験していたが、1986年のチェルノブイリ事故はまだまだ先の時期だった。
朝日新聞山口支局 2001年
電源開発分科会への計画上程の根拠について、国は『地元意見を代表する知事から同意をもらった。』と言い、同意した知事は『国策だから協力する。責任は国にある。』という。
電力会社は、『国の方針』を言いたがる。
数百億の公金を投入され、住民の賛否が割れている立地手続きが、責任のたらい回しのような形で進んでいいのだろうか?
瀬戸内に面する漁業の町、山口県上関町が原発予定地に名前が挙がったのは1981年9月だった。
今に続く原発推進の「国策」が全面化した時期だった。
1979年のスリーマイル事故は、経験していたが、1986年のチェルノブイリ事故はまだまだ先の時期だった。
朝日新聞山口支局 2001年
Posted by グリーンワーク at 07:06│Comments(0)