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Posted by 滋賀咲くブログ at

温暖化時計

2009年10月15日

毎年繰り返される遅い秋の訪れ。
秋なのに、色々な花が狂い咲いている。

満月の夜だけ、地球照で、天に銀色の虹がかかる。
石畳と、壁と、教会の町に、ぼくはたどり着いた。
欲望という船を待ち切れずに、海峡を手漕ぎボートで逃げようとする人がいる。
忘れられない死者の名前がある。
死者の話を伝える蝶がいる。

雨の中、一人公園で泣いている少女に出会った。
ぼくは、差し出す傘がなかった。
「お父さんは?」と、ぼくは問いかけた。
少女は答えなかった。
兵士の姿に少女は怯えていた。
「女の子が一人で泣いていたら、心配になるじゃないの。」と、近所のおばさんが傘をさし出した。
少女は頷いた。
一人では生きていけない。
ぼくは、着剣したライフル以外に、あげるものも、もらうものも、何もなかった。
少女の父親は、黒い雨以外に、雨の名前を50も語ることができた。

ユートピア。
宗教を語る政治家はいるが、兵士は宗教家ではない。
多くの友人を失った。
みんなの幸福や、自由を守るために必要だった。

国中が戦争の熱にうなされている時、彼は武士の魂を持ち続けるために、どこにも属さず、何にもとらわれないで、雨が土に浸みこむように世の中をあるがままに生きて来た。
「命はどこにある?」
そういうと、彼は『来るな。ついて来るな。』とジェスチャーで押し返す仕草をした。
そして、「さよなら。」と、優しい声で言った。
彼は、少女の父親だった


Posted by グリーンワーク at 05:28 Comments( 0 )

温暖化時計

2009年10月11日

一党独裁の弊害は、国民が情報を制限され、誘導されることだ。
2008年の洞爺湖サミットで、日本は石炭火力発電の増加を指摘され、原子力発電への転換を決めた。
そのことを国民に伝えないまま、電気事業連合会や、電力会社は、連日マスコミで、原子力発電の意見広告を流し続けた。

「貧しいから、原子力発電所を受け入れている。」と言う人がいる。
お金で買えるものにしか価値を感じない人たちの誤解だ。
例えば、青森県が六か所村に再処理工場を受け入れたのは、東北新幹線の青森延伸と引き換えだった。
『貧しさ』を口にすることは、六か所や大間の人たちを差別していることだ。
東北新幹線は、長く盛岡で止まっていた。
政治には、必ず訳がある。
六ヶ所の人たちは、豊かな人たちだ。
経済活動は、人間活動の一部だ。

新規に原子力発電所を作るのは、不可能に近い。
原子力発電所は、ダムと同じで、税金で建設されている。
待ったなしの温暖化対策には、時間がない。
税金のムダだ。
敦賀1号原発のように、耐用年数を延長することは、恐ろしい。

「温暖化は、都市の問題だ。」と、リーダは言った。
高知県の山間地では、風力発電や、木質バイオマスや、小力水力発電をしている町がある。
岩手県にも自然エネルギー100%を目指す町がある。
六か所村にも、その風を利用して風車が立ち並ぶ。
人間活動起源の温暖化は、大量生産・大量消費が原因だ。
産業や、都市のエネルギーの大量消費をなくさなければ解決できない。
「都市の浪費を“マイナス”にしなければ、温暖化は解決に向かわない。」
そう言って、リーダは仲間たちと、マラリアで焼かれた村に旅立った。
「町を出よう。」と、リーダはマリーアに言った。

CO2を出さない原子力発電所に煙突があるのは、原子炉の放射能をガス抜きしなければパンクするからだ。
経済産業省は稀釈拡大と言うが、放射性廃棄物は非常に重い物質だ。
放射能は、体内の空間に蓄積される。
女性なら、乳腺だ。
原子力発電所の増加と、乳がんの増加が指摘されている。
都市に必要な原子力発電所を都市に建設しないのは、経済的に豊かだからではない。

「自然に帰ろう。」と、リーダは言った。


Posted by グリーンワーク at 18:40 Comments( 0 )

温暖化時計

2009年10月11日

ブッシュ大統領は、お抱え学者を使って、地球温暖化の懐疑論を展開させたことで有名だ。
アル・ゴアは、映画『不都合な真実』で、ブッシュの嘘を正した。

2016年に、アラスカ湾で、懐疑論者の赤祖父氏が死んでいた。
温暖化被害が現実となり、すでに氏は忘れられた存在だった。

国内でも、懐疑論者の武田氏が射殺された。
そして、藤晴美も、同じ44口径で射殺された。
政府の密約Gメンが、通産省と財界が「産業に規制をかけない。」と約束を交わした密約を捜査解明していた。
政府は、旧政権時代の闇を解明し、政治の信頼を回復させようとしていた。
国会喚問で、両氏がどのような証言をするか、注目を集めていた。
かねてから、懐疑論に関して、誤った解釈や信頼性の低い論拠などの問題点が指摘されていた。
2016年が近づくにつれて、「素人の印象を信じるな。専門家の言うことに耳を傾けろ。」の声が高まっていた。

経団連は、懐疑論者を支援していたが、懐疑論で行動していたわけではない。
彼らは、知識も資金もあり、温暖化からの逃げ道を作っていた。

その年までに、ぼくは、兵士になっていた。
ノアの方舟が回航されるまで、あと1年だった。

シャーマンは、昼間に2つの星を見つけ、回光を見ていた。
「流れ星は途中下車した。」と、エコーが伝えた。
ぼくたちは、知らない人になっていた。
ぼくが、敗戦主義の兵士になるまで、あと半年だった。



Posted by グリーンワーク at 07:25 Comments( 0 )

温暖化時計

2009年10月07日

一番よく使われる嘘は、「大丈夫」だ。

持つ者は、持たざる者へ与える義務がある。
企業は対外イメージを気にして、自己の強欲と、過剰さを隠そうとする。
その現れが『企業の社会的責任( CSR: Corporate Social Responsibility)』を語る。

経団連は、いまだに工場の海外移転を公言しながら、当時の通産省と交わした密約を盾に「経団連自主行動計画」にしがみつこうとしている。
2009年12月のCOP15を控え、鉄鋼や電力など業界団体に天下った経済産業省OBを中心に、『将来枠組み連絡協議会』を旗揚げした。

新政権で、産業界の「なれあい体質」のピアプレッシャーが効かないとみるや、エネルギーの浪費に対する企業負担を、「家計の負担」に置き換える戦術をとり出した。

旧政権時代、政府はことさら家庭での省エネを強調して来た。
経済産業省は30年前の省エネ法を盾にし、環境省は産業に手が出せなかった。

経団連が主張する「日本は世界一省エネ努力をしている『乾いた雑巾』」論は本当か?

日本、EU、アメリカが気候変動枠組み条約に提出した温室効果ガス排出目録では、産業からの排出は、日本がダントツのトップだ。
日本の家庭での排出は、欧米より低い。
アメリカの中流家庭では、プールがあるくらい、浪費が盛んだ。

省エネ法は規制が効いていないことがわかって来た。
業務用のフロンの垂れ流しなどで、マイナス6%は天井知らずの増加に歯止めが利かない。
産業の省エネが嘘だとわかって来た。

京都議定書後の10年で、世界は変わった。
英国では、市民運動のBigAskキャンペーンが政府を動かし、気候変動法が誕生した。
英国は、法律で「2020年に1990年比で26%削減」と、「2050年に1990年比で80%削減」を決めている。
法律にしたのは、将来、約束を反故にしない決意だ。
ドイツは緑の党の活躍で、「エネルギー及び気候変動プログラム」を取組み、米国ですら、グリーンジョブなどの市民運動から1000ページに及ぶグリーンニュディールが作られ、2009年6月には「ワックスマン・マーキー法案」が下院を通過した。

麻生政権下での、中期目標の基準年を1990年比から、2005年比にすり替える姑息なごまかしはなんだったのか?
グリーンワークは、キャノンとの対話が必要だと主張している。

彼らは楽の方をとるのさ、誰とでも手を取りながら。(ボブ・ディラン)
国民は、情報が制限され、誘導されている。

栄華は続かない、やがては滅びる、何を選択するかだ。
「キャノンが、死ねと言えば死ぬのか?」とサイキは呟いた。

男らしいてわかるかい?
ピエロや臆病者のことさ。
おれには聞こえるんだ彼らの怯えたような泣き声が。

カーラジオからは、ボブ・ディランのアイシャルビーリリーストが流れていた。


Posted by グリーンワーク at 18:56 Comments( 0 )

温暖化時計

2009年10月05日

2009年9月27日から、タイで、12月のCOP15(国連気候変動枠組条約締結国会議)に向けた国連作業部会が始まった。

日本は、2020年までに、1990年比で25%の温室効果ガス削減を宣言し、温暖化対策のリーダーシップを引き寄せようとしている。

国内の紙面には、新政府に対して、『青臭い政策』や、『猛スピードでコーナーを回ろうとしている。』と、批判的の論調が出て来た。
マスコミは、スポンサーの代弁をしている。

大絶滅が現実となり、神の法廷で、正義の裁きが下りる前に、妥協の精神が必要だ。

アメリカ政府でさえも、温暖化法案の反対勢力に対抗して、2010年から85%の企業に対して、温室効果ガスの排出量の報告を義務化させようとしている。
経団連が、積年、反対し続けて来た法案だ。

旧政権時代、経済界は、シンクタンクへではなく、直接、政府与党に、巨額の政治献金を、白紙委任状のごとくつぎ込んで来たが、落日のように政権は交代した。
市場原理主義は、ピア・プレッシャー(周囲からの圧力)だけでは、おさまりがつかなくなっている。
日本は、一党独裁が続き、二大政党の経験がない分、歴史は繰り返される。
市場原理主義者が過去の体験の記憶を都合良く改ざんしなければならないくらいに、ビジネスはギャンブル依存症に陥っている。

昭和恐慌の時代、同じスローガンの下で、貧しさから、戦争に期待する国民がいた。
温暖化の時代、豊かさゆえに、経済に期待し、同じシュプレヒコールを挙げている労働組合員がいる。
自分さえよければでは、政党は成立しない。
金と暴力の支配。
全体主義のナショナル・プレッシャーは、繰り返される。

ぼくは、世界がどこへ向かっているかなんて、わからなかった。
ぼくは、世界なんて、怖くなかった。
ぼくは、手渡された地図に、時代の声を聞きながら、旅を続けた。
過去は、出来事に過ぎなかった。

44口径の連続射殺犯の記事が紙面の片隅で産声を挙げている。


Posted by グリーンワーク at 19:24 Comments( 0 )